以下に、次の分類用語を使用するページがあります “03.中国”
ウルムチ⇒アルマティ(2003/03/10)
目を覚ますと列車はアラシャンコウ駅に停車している。ここは国境の町だ。昨日の夜に辛い拌面(焼きうどん)を食べたのだが、これが結構辛くて、今日のおなかの調子はあまり良いものではない。とりあえず、トイレに行こうと思いきや、停車しているためトイレの使用は禁止されていて、鍵が掛けられている。このままではマズイと思ったので、車掌にお腹が痛いからトイレに行かせてくれとせがむ。こちらの痛々しいそぶりを見て、駅のトイレまで行かせてくれる。但し車掌の見張り付きでだ。
ウルムチ(2003/03/09)
今日は23:58ウルムチ発の列車に乗ることになっていたが、時間はまだまだあるので、半日分半額のチェックインをしなおして、ロシア語の勉強をしたり、テレビでF1の開幕戦の予選を見たりして、昼間は時間を潰し、夜の8時にはホテルを出て、夕食を取り、インターネットカフェに行って時間を潰し、駅に行く。
ウルムチ(2003/03/08)
目を覚ますとすでに10時過ぎになっている。今日はルームメイトが11時40分に北京行きの列車に乗ることになっていて、朝まで話につき合わせてしまったことを詫びた。
ウルムチ(2003/03/07)
朝方、北海道大学生の彼は上海に向け列車に乗るということだったので、駅まで送りに行って。その後、カザフスタン行きのチケットを購入する。
ホテルに引き返すと、とりたててすることもなくなったので、昼寝をする。ルームメイトは市内にある公園に行くということで別行動となる。
ウルムチ(2006/03/06)
目を覚ますと、朝方の5時になっている。すでにウルムチに到着していて、周りの乗客はバスを降りてタクシーに乗り換えようとしている。いまだ雪は降り続いている。自分もさっと路上に降りて、タクシーを拾う。あらかじめ調べておいたドミトリーの新疆飯店というところに行ってもらい、チェックインする。ドミトリーには日本人が二人泊まっていたが、朝方の6時だからまだ寝ている。ひとまずシャワーを浴びて布団に潜り込んだ。
敦煌⇒ハミ⇒ウルムチ(2006/03/05)
朝方、9時に二本のウルムチ行きの列車があると聞いていたので、早速行ってみると、いまだに列車は動き出していない。楊さんはここで諦めて、バスで蘭州に帰ることにして、敦煌市内に引き返してしまった。自分は一人待合室で列車の開通を待つ。数時間か待った挙句、雪まで降り出して来た。
敦煌(2006/03/04)
今日の夜にはウルムチに向けて出発する予定だった。楊さんも仕事の関係上ウルムチに行く予定があったらしく、ついでなので、一緒についてきてくれるという話になった。昼間は市内を歩いて回り、夕方いつものタクシーの運転手を呼んで、安西駅まで行ってもらう。駅に到着すると、チケット売り場の様子が何かおかしい。しばらく待っていると「大風」の看板で売り場が塞がれる。またである。この調子だと今日は列車が動きそうにないと判断して、駅前の招待所にひとまず翌日の朝まで待機することに決めた。
敦煌(2003/03/03)
今日は敦煌市内を探索することにした。市内中心部にある博物館に行こうとしたが、なんの理由かわからないが閉まっていて見ることができなかった。それなので市内をぶらついてすごした。
敦煌(2003/03/02)
朝、10時に目を覚ます。楊さんとロビーで待ち合わせすると、タクシーの運転手もすでに玄関で待っている。タクシーに乗り込んでまずは朝食を食べに向かう。西安でも何度か食したが、朝は大体、数個の包子(バオズ)と小豆スープ(おしるこの甘くないようなもの)を食べる。その後は市内から20kmくらい離れたところにある莫高窟に行く。
西安⇒敦煌(2003/03/01)
朝起きると列車は停車していて、多くの乗客が外に出て買い物をしている。自分も朝のちょっと寒いホームに降り立って食べ物を物色する。快餐(直訳するとファースト・フードだが)と書いた看板を掲げ、お弁当を売っている。まだ小学生か中学生くらいの女の子が朝早くからこの弁当売りの仕事をしている。発泡スチロールの入れ物にご飯とおかずを一杯詰め込む。ご飯があふれそうなのでもうひとつ入れ物を貰おうとすると、さっととがめられ、女の子に睨まれる。余分にはくれないらしい。幼いながらも商品にロス無く必死に物を売る女の子になんともいえない同情を覚える。しかし、同情するならカネをくれという殺気立ったものを感じた。
西安⇒敦煌(2003/02/28)
11:30から敦煌行きの列車に乗る。今日は硬臥(硬い寝台)をゲットできたので、比較的楽な旅だ。列車に乗る前に駅前の雑貨店に行って、カップラーメンやみかんを買う。全部で17元の買い物で、100元を渡す。そうしたらその店の若い店員がさらに100元よこせばすべて10元に両替してくれるというので渡す。帰ってきたお釣りは163元。20元足りない。返せというと10元しか渡さない。怒ってこちらが大声を出す。悪い悪いといいながら10元返す。お前は悪い奴だと捨て文句を行って店を後にした。いつもそうやって観光客からゲームのように金を巻き上げているのだろうか。それとも両替の手数料を取っているつもりなのだろうか!?こちらは、中国語に慣れてきたのもあって、真剣にやり取りをして損をしないようにはできた。これぞ大陸での人とのやりとり。日本みたいに人任せにうっかりはできない。
西安(2003/02/27)
今日は別のバスに乗って大雁塔に行ってみる。中国でのバスの乗り方もこの頃一通りマスターした。漢字ですべてのバス停名が書かれていて、市内地図にも情報が載っているので、これを元に目当てのバスを探す。バスにはそれぞれルートごとに番号が振られていて、乗りたいバスの番号を待っていればOK。バスが着たら乗り込んで集金係がいるので数元を渡す。中にはワンマンバスで一元を箱に入れる方式のものもある。乗り慣れれば結構簡単なものだ。
西安(2003/02/26)
長い座席の旅に疲れていたので午前中は招待所のベッドでゆっくり休んだ。午後からまずは西安駅に敦煌行きの切符を買いに行く。

その後は兵馬俑へと市内バスで赴く。着くや否や、怪しい日本語を話す中国人がわんさかと声を掛けてくる。どうやら、兵馬俑のガイドをするサービスらしいが、値段を聞いて80元と観光地価格なので断ることにする。それでも入場料は100元を払って、中に入場する。ここには3号坑まであって、一通り見て回る。ひとつひとつの坑が雨風をしのぐために体育館みたいなつくりをした屋根付きの建物で覆われている。そこに秦の兵隊や騎馬を模した像が幾重にも並んで配置されている。この日は人民解放軍の集団が旅行で来ていて、そこらじゅう兵隊だらけである。現代の兵隊が古代の兵隊の像を見学にきているなんてちょっと奇妙な光景だった。
桂林⇒西安(2003/02/25)
朝目を覚ますと外は華北の一大農業地帯である。午前中に学生の二人が鄭州で降りると、今度はやはり学生の男の子が正面に座って、またまた筆談を始める。列車は貧乏旅行や里帰りをする学生や若者でいっぱいだ。なんだか、楽しい車内。中国のこれからの高度経済成長を支える若い世代の詰まった列車。外は窰洞(ヤオドン、乾燥した土地に穴を掘って暮らす住居)でいっぱいの切り立った崖がそびえる乾燥地帯。風景は一変している。
桂林⇒西安(2003/02/24)
今日は昼過ぎから列車に乗ることになっていて、午前中は10時くらいに宿を出て、昨日行った駅前にあるコンピュータのショッピングセンターに行って、簡体字バージョンのWindowsXPとOfficeXPを購入する。どちらも、10元と格安。もちろん海賊版であるが…。
桂林(2003/02/23)
朝方、招待所のお手伝いの女の子が部屋に掃除に来て、飛行機で仲良くなり一昨日招待所を探してくれた日本在住の中国人女性を誘って三人で一緒に食事をしようという。早速女性に電話してみるが、あいにく留守。とりあえず、一人で桂林の街をぶらつくことにした。
桂林(2003/02/22)
昨日の夜にこの招待所に到着したときに、今日の遊覧船ツアーを予約していたので、朝の8時からバスが迎えに来て、これに乗って出発する。外国人向けのツアーは結構高くつくので、中国人向けの300元のツアーに参加することにしていた。それなので周りはすべて中国人で、外国人は自分ただ一人。言葉がいまひとつ解らずとも、何とかなるものだ。ガイドさんに言われ、武漢から来た社員旅行のグループにくっついて行動することになった。
マカオ・深圳(2003/02/21)
次の目的地である桂林へ向かうための飛行機に乗る深圳空港へは香港〜マカオ間のチケットとセットで買っていたので例の高速船で移動することになっていた。出発はお昼過ぎだったので、時間をもてあます。マカオグランプリの博物館に行ってセナやシューマッハの優勝マシンを見たあと、グランプリスタンドに行きしばしたそがれる。
マカオ(2003/02/20)
次の目的地はマカオに決めていたが、そのあとは桂林に行くことになっていた。
ピエンが深センから桂林行きの飛行機のチケットを取ってくれて、これを受け取り、マカオまで船で移動する。この船が結構高速で、船に揺られること1時間でマカオに到着した。マカオは一泊しかしない予定で、少し値が張っても今日はいつもよりいいホテルに泊まろうと決めていた。
香港(2003/02/19)
この日は香港島の裏側に行って、フィッシュマンの暮らすアバディンに行くことになった。バスに乗って途中まで行くが、アバディンには到着しない。バスの運転手に尋ねても広東語しかわからないので埒が明かず、周囲をうろうろする。英語のわかりそうな学生を見つけて聞くと、もう一本バスを乗り換えて行くそうだ。
香港(2003/02/18)
午前中はトミーのお父さんの仕事場を訪ねて、手伝いをすることになった。仕事の流れがわからないので、自分はほとんど見ているだけであったが、親孝行のトミーは重い荷物を持ってお父さんを手伝っていた。
香港(2003/02/17)
香港に入ると、中国のビザが切れてしまい、再度取得する必要があった。トミーの家で朝食をご馳走になると、トミーの案内で旅行代理店に連れて行ってもらい、そこでビザの申請を行う。モンコックの付近でお父さんと待ち合わせ、昼食を三人で取った後、昼過ぎからトミーとお父さんはそれぞれの仕事があるので、ここで一旦別れ、僕は一人で九龍を散歩することになった。
香港(2003/02/16)
トミー(建君)は香港理工大学で働いている。詳しい専門はきちんと聞かなかったのでわからないが、なにやら人間の視覚を扱う専門らしい。この日は日曜日で、トミーはサッカーチームを持っており、大学でその練習をするとのことだった。
広州・香港(2003/02/15)
目を覚ますと外の景色は東南アジアみたいな亜熱帯の風景に変わっている。11:18に広州駅に到着する。ここから香港までは列車を乗り換えなければならない。香港までの列車は広州駅ではなく広州東駅から多く出ているので、そこまでは地下鉄に乗っての移動となる。広州の地下鉄は上海と同じく、いやそれ以上近代的で、ホームと線路との間に自動扉の付いた仕切り壁が設けられていたりする。改札や切符販売もすべて自動である。一旦地下鉄を乗り換え、数十分で広州東駅に到着した。
上海(2003/02/14)
朝、広州行きの11:30出発の列車に乗るべく、ドミトリーの皆が寝ている中を、上海駅へ急ぐ。
地下鉄に乗って上海駅にたどり着く。そこにはもうたくさんの人の行列ができている。今回は硬臥(硬い寝台のこと)を確保しているので、快適な列車の旅となる。運河の多い江蘇省の水田地帯を窓越しに眺めながら。
上海(2003/02/13)
翌日、9時くらいまでゆっくり寝た後、部屋が一緒だった日本人の青年と一緒に部屋を出て、上海駅まで行き、まずは広州行きの切符を買うことにした。彼は上海を基点にして、中国の南部(成都・雲南・広州)をぐるっと一周してきたところで、上海に来る前は広州にいたという。それなので、広州行きの列車の情報をいろいろと聞くことができた。自分は次の訪問地を北京で知り合った友達のいる香港と決めていた。その香港行きの列車が広州から出ているという。彼はビザと予算の都合上、香港にはいけなかったそうで、羨ましがっていた。
上海(2003/02/12)
車内の明かりと乗客のおしゃべりで、ゆっくり眠れず、途切れ途切れに睡眠をとる。大体2〜3時間ごとにお尻の痛さに、耐え切れなくなってトイレ休憩に行く。そうこうしているうちに、朝がやって来て、目を覚ましてしばらくすると、とてつもなく川幅の広い長江に架かるこれまた高く大きな橋を渡り、渡り終えてしばらくすると南京駅に至る。かつての大虐殺の場所。私が日本人であることを知ったら周りの人々はどのような反応をするであろうか。しかし、面倒にもなるのが嫌だし、また日本軍侵略についての考えを述べさせられるまでなので、おとなしくじっとしている。上海到着までの時間はもう少し。
北京(2003/02/11)
この日は上海までの列車が15:30に出発するので、時間が余っており、早めに宿を出て、日本大使館となりの昨日行けなかった日本文化交流センターに行って、無料でネットをさせてもらう。だが、ここでも、フロッピーが使えず、サイトの更新ができなかった。それなので、ローミングサービスに申し込むことにした。
北京(2003/02/10)
今日は朝から忙しい一日となった。まず、早朝6時過ぎに北京に着くと、地下鉄に乗って北京駅の隣にある建国門というところまで行き、日本大使館の場所を探る。日本大使館自体には用件がなかったが、その隣にある日本文化交流センターというところに行きたかった。ここは、中国語の先生の彼女から無料でインターネットができると紹介されていたからだ。ただ、時間が10時からということで、諦めて次はカザフスタン大使館に向かうことにする。
大連(2003/02/09)
どうやら気づいてみればここ最近続いている下痢は食べ物が原因というよりも、風邪をひいていることに起因しているのかもしれないと思う。おなかの調子は回復に向かいつつあるが、どうも喉が痛く、鼻が詰まる。それなので、この日の午前中は特に何もせず、ホテルのチェックアウト制限時間いっぱいまで、部屋で休むことにした。
大連(2003/02/08)
昨日とは違って、今日はもう一人の中国語の先生の中学時代の同級生に会うことになっていた。今日は朝の9時に待ち合わせをして、その後、彼の彼女も合流して「老虎灘公園」というところに遊びに行った。彼も現在日系企業に勤めているということだった。この公園には水族館があって、何年ぶりか忘れてしまったが、久しぶりに水槽の中の珍しい魚たちや、アシカ・イルカショーを見たりした。
大連(2003/02/07)
今日は昼の12時に来客の予定があった。尋ねてくる人は、昨年の6月から家庭教師として中国語を教えてくださった先生のその彼女が大連の街を案内してくれるとのことだった。目が覚めたのは朝の8時くらいで、ノートパソコンを使ってこの日記を書いていたところ、10時くらいには連絡があって、もうホテルのロビーに来ているという。急いで荷物をまとめてロビーへ向かう。彼女は、現在、北京の大学に通っていて、今は大連に帰郷しているところだった。
大連(2003/02/06)
朝の7時には大連駅に到着した。大連は日本で中国語を教えてくれた二人の先生の実家があり、彼らの友達に会うためにやってきた。駅に着くや否や、大勢の旅館や観光ツアーの客引きが取り巻いて、その中の一人が結構しつこい。何だかんだで一晩100元で泊まれるホテルがあるというので、見せてもらいに行くことにした。だがそこは空きがなかったので、別のホテルに泊まることにした。そこは国泰大酒店というホテルで一晩140元だった。まあ、高くはない。ホテルは16階建てで、結構大きかった。おとといの夜は北京のホテルのマネージャと話しこんで風呂に入っていず、昨日は寝台列車に乗っていて、やはり風呂に入れなかったので、朝方このホテルに着くや否や風呂に入ることにした。ちょっとびっくりしたのは、お湯を出すと錆びの混じった黄色いお湯が出てくるということだ。しかし、しばらく出しっぱなしにしていると黄色くなくなったので、何とか入ることができた。まあ、安宿めぐりをしているので、文句は言っていられない。また、列車の中では良く眠れず少し寝不足気味で、体調も良好とはいえなかったので、昼寝をすることにした。
北京(2003/02/05)
今日も朝の7時に起きて、タクシーに乗って、アリスさんたちのホテルに朝食をご馳走になりに行った。途中タクシーの運転手と、「今日も寒いですねぇ」とか世間話を試みてみたら、韓国人かと聞かれた。日本人だというと、運転手曰く韓国人も日本人も中国語の訛り方は結構似ているという。
北京(2003/02/04)
今日は朝の8時に香港女性三人組と彼女らのホテルで待ち合わせをしていたので、7時にモーニングコールで起こしてもらい、タクシーに乗ってそのホテルに向かった。タクシーでは自分が話す中国語の発音がいいねと運転手のおじさんに褒められたのでちょっと嬉しかった。彼女らのホテルに朝方向かったのは、朝食をご馳走になるためだ。なんでも、ここのホテルの朝食はバイキング形式で、部外者でもこっそり入って食べられるとのことだった。でも、お腹の調子は未だに悪く、お粥くらいしか食べられそうなものはなかった。
北京(2003/02/03)
今日はニッキー達がハルピンに向け出発する日なので、一人で泊まる宿を見つけなければいけない日になった。親切にもニッキーが部屋を探してくれて、天安門広場の南側にある前門の一泊120元の宿を見つけることができた。
北京(2003/02/02)
この日は朝10:00くらいにゆっくり起床して、朝食にパイコー麺を食べた後(またまた健君のお父さんに付き合って50℃の白酒も)、ニッキー達と万里の長城までバス観光に出かけた。
北京(2003/02/01)
中国の正月のこの日、寝たのが明け方の4:00くらいだったのだけれど、今朝は天安門広場に国旗の掲揚式を見に行くために、5:30には起床してタクシーに乗った。もちろん昨日知り合った仲間を含めて6人である。だけれど、早く出すぎてしまっていたために、寒い中(おそらく-5〜-10℃)一時間ほど待たなければならなかった。式は日の出と同じくらいの時間に始まった。式は天安門から前面の通りを挟んで反対側にある、国旗掲揚台までのパレードである。
北京(2003/01/31)
この旅を理由に仕事を退職したのは先月のこと。それまで、実家を離れ高円寺での一人暮らしの生活の中、無駄遣いはせず貯めてきた資金は最後のボーナスで目標額の100万円に達していた。まったくの未経験から始めたプログラマの仕事が「石の上にも」というように、3年を過ぎたばかり。これであれば再就職も大丈夫だろうという風に打算的になっていたので、仕事を辞めることにまったくの未練はなかった。