以下に、次の分類用語を使用するページがあります “04.カザフスタン”
アルマティ⇒モスクワ(2003/03/26)
アロビナは早朝の4時に列車を降りた。今日もみんなから卵やパンなどをもらいながら、食事をする。昼前にウラリスクにつくと、おじさんが僕らのコンパートメントに乗ってくる。彼は年が37歳でちょうど自分より10歳上である。名前をアレクセイといって、ナバロフ近くに用事があっていくそうである。マガジン(ロシア語で売店のこと。小さなコンビニエンスストアみたい。)で働いているそうで、一人のお子さんがいるそうだ。彼がとても陽気なひとで、且つとても親切である。昼食の時間になると、肉やパン、お菓子、お茶をくれて、途中の駅でビールをおごってくれた。
アルマティ⇒モスクワ(2003/03/25)
朝、目を覚ますと相変わらず、通路は大勢の人間でいっぱいになっており、トイレに行くのもやっとである。途中、インド人のおばさんたちが話し掛けてきて、頭が痛いからアスピリンをくれとか、ベッドで寝かしてくれないかとか、あつかましくねだってくる。日本から持ってきた薬と、香港の友達にもらった薬は、すべてアルマティのタクシー事件でなくなっていたし、部屋に入れるのも、同室の三人に迷惑だろうと思ってこれを断る。
アルマティ(2003/03/24)
朝の5:30には目が覚めて、シャワーを浴びに行く。ここから三日間はシャワーを浴びることができない。部屋に戻って荷物をまとめて、同室のパトリックにお別れをして、7時には宿を出る。
アルマティ(2003/03/23)
今日はカザフで行動できる最後の日である。だけれど、これと言って行きたい場所もなく、ひとまずラムストールに行って買い物をして、今度はバザールに行って買い物をして、そこの昨日も行った安いウイグル食堂でシャシュリク(ケバブ)を食べチャイを飲んで午後には宿に帰る。そして日記をつける。
アルマティ(2003/03/22)
今日はイスラム教のお正月に当たるらしい。日本のお正月と、中国のお正月、それにカザフスタンのお正月と、今年は3度もお正月を迎えることになった。まずはアルマティ第二駅に行って、モスクワ行きの切符を買う。モスクワ行きの列車は偶数日に出発するようになっていて、料金は18,333テンゲである。出発は24日の朝方で、27日の10時過ぎに到着する予定である。25日からロシアビザが有効になるが、24日中はまだカザフスタン領内を走るので問題ないという。切符を得ると、トロリーバスに乗ってラムストールまで行き、インターネットを見る。どうやらイラクの戦争が始まったらしい。旅に支障が出ないことを祈ろう。
アルマティ⇒ビシュケク(2003/03/20)
朝方、いつものようにフロントに湯沸し機を借りに行って、中国で買ったジャスミンティーを、やはり中国で買った茶のみ瓶で飲みながら、ピロシキや菓子パンを食べる。朝食を済ませると、4番の市電に乗って旅行代理店に行く。ここで、ロシアのビザを受け取り、一旦宿に引き返す。
アルマティ(2003/03/19)
今日は旅行始まって以来のまとまった雨。外での行動はせず、部屋で日記をつける作業に集中する。
夕方、夕食の買い物に外に出て、近くのバザールに行ってみる。そうしたらロシア語版のWinsowsXPとOfficeXPのセットになったCDが売られている。値段を聞くと400テンゲと格安である。思わず購入する。もちろん海賊版であることは承知の上だ。その隣の店にスイス・アーミーナイフが売られているのでこれも購入。列車の中や宿で買出ししてきた食料を捌くのにもってこいのもの。列車に乗っているとナイフで肉や果物を切っている人をよく見かけるので、前から必要だと思っていた。このアーミーナイフが4350テンゲで結構安いか?こちらはどうやら本物らしい。
アルマティ(2003/03/18)
今日は予定ではロシアのビザを取得して、キルギスに向け出発する予定だった。だが、旅行代理店に朝の10時くらいに行くとまだ取得ができていないという。取得は20日の朝になるという。結局、あと2日間の待ちぼうけをくらうことになった。まあ、折りしも昨日からひいている風邪もあるので、今日・明日は風邪を完治させることに専念しようと決めた。
アルマティ(2003/03/17)
この日は午前中を宿の部屋で過ごし、午後遅くラムストールに行く。目的はインターネットを見て、キルギスの情報を収集することだ。ラムストールの一階には小さなスケートリンクがついていて、ここで子供たちがアイスホッケーを練習していた。たかが練習だが、結構当たりが強い。三十分くらいこれを眺めたあと、インターネットを1時間くらいやって、引き返す。帰り道どうも喉の調子がおかしい。少し風邪気味になっている。昨日、半開きのベランダのドアに少し寒気を感じながら寝ていたせいだろう。今日はシャワーも浴びず寝ることにした。
アルマティ(2003/03/15)
今日は4番のトランバーイに乗って終点まで行ってきた。本来は途中のバスステーションで降りて、ビシュケク行きのバスの料金と時間を聞こうと思っていたのであるが、降りる場所がわからず通り過ぎてしまい、終点まで行ってしまったのである。終点には中規模のバザールがあって、昼時のせいか結構ひとで賑わっていた。再度引き返し、バスステーションに行く。いろいろと情報が集めることができた。
アルマティ(2003/03/14)
今日はタルガート君が夜7時の列車に乗ってアスタナに帰る日であった。それなのでたくさんの記念写真を宿の部屋で撮った。
アルマティ(2003/03/13)
早朝、彼が持っていたパンとケフィール、それに僕のジャスミンティーを分け合って、朝食にして、彼は朝早く病院に向かって出発して行った。
僕は坂を上って、大統領公邸のほうへ行ってみることにした。公邸のとなりには市民ホールがあって、通りを挟んで向かい側に大きな国立中央博物館がある。ここが80テンゲと安い入場料で、しかもかなり資料が多く、展示の仕方がきれいである。博物館は一階が古代(恐竜とか原人とか)、二階が中世(遊牧民の時代だ)、三階が近代(主に第二次世界大戦)と現代(現大統領について)という風に分かれている。
アルマティ(2003/03/12)
タルガート君が朝食にマンティ(中国では包子と言った、要するに肉まんである)をくれた。それにケフィール(要するに飲むヨーグルト)もくれた。彼が紅茶を飲みますかときいてくるので、僕は持っていたジャスミンティーを取り出し、こちらを飲もうよと勧めた。二人で一緒に夕食を取りながら、いろいろ楽しい話をすることができた。食べ終えるとタルガート君は研修先の病院に向かって出発した。
アルマティ(2003/03/11)
朝方、7時過ぎにアルマティ第一駅に到着する。旺さんや、焦さんはここで降りたので、自分も降りようとすると、車掌がもう一駅あるから待てという。しばらくして列車は再度発車し、数十分後にアルマティ第二駅に到着した。