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クルガン⇒キエフ(2003/04/17)
朝目を覚ますとロシア兵の青年が降りて行って、代わりにおばあちゃんが下のベッドに寝ている。相変わらず、僕はほとんどの時間をベッドに横になって過ごす。たまに車内に売り子がやってくる。ロシアの車内では、グラスや食器のセットを売りにやってくる売り子がいる。モルドバ人の青年はモルドバに住むおばあちゃんへのお土産にたくさんの食器類を買い込んでいる。しかも持ってきていた荷物もたくさんあって、荷物棚は彼のバッグで一杯になっている。
クルガン⇒キエフ(2003/04/16)
夜中の3時に怖い夢を見て実を覚ます。夢は列車のベッドで寝ている隙に強盗に襲われるというものだった。うなされて思わず「ヒィー」と情けなく声を出し、その自分の声に目が覚めて飛び起きる。ロシア兵たちがどうしたかと僕を覗きに来る。僕は「イズヴィニーチェ(ごめん)」と言う。彼らは写真を見せる。その写真には潜水艦が写っている。どうも彼らは海軍で、オホーツク海の警戒を任務としているらしく、そこで撮った写真を買わないかという。必要性も感じないし、万が一、変にふっかけられてもいやなので、ここは丁重にお断りする。彼らはこんな夜中にトランプをして遊んでいる。うるさいのと強盗への恐怖心とで、この後なかなか寝られなかった。モスクワで会ったオランダ人のことを思い出した。彼はモンゴルへ向かうシベリア鉄道で強盗に遭い、金品、ビザ、パスポートをすべて奪われ、モスクワで再起のため足止めをくらっていたんだった。自分もアルマティでタクシーの運転手に荷物を奪われた。この旅で旧ソ連圏は治安が悪いという印象を強く持っていた。そんなことを考えているうちに、しばらくすると、いくらかの兵隊たちが下車していって、静かになったので再び眠りにつくことができた。
クルガン(2003/04/15)
朝になると、おじいさんが家にやってくる。今日は昨日映画でみたようなロシアの片田舎に連れて行ってくれるという。クルガンからお父さんのクルマで一時間ほど行ったプーシキンスカヤという村に行く。ここにはおじいさんの知り合いがいて、チーズとサワー・クリームを譲ってもらっていた。ここには一頭の馬と三頭の牛、それに二羽の鶏と、一匹の犬がいた。本当にのんびりした田舎の村である。数十分ここでくつろぎ、天然のミルクをご馳走になって、すぐに帰ることになる。お父さんのクルマではイーグルスが流れていて、知っている曲が何曲かあったので自然と口ずさむ。広い平原とまっすぐな道、それにイーグルス。すごく気持ちがいい。
クルガン(2003/04/14)
ジャックは朝から学校に行った。朝食を頂き、お父さんと一緒にロシア語吹き替え版の「パール・ハーバー」を見る。これもアメリカのプロパガンダだとお父さは語った。昼過ぎにお姉さんと映画館に行く。映画館にはお姉さんのクラスメイトと映画館の係員の友達と会う。映画はハリウッド版の「リング」でみんな怖がっていた。僕はオリジナル日本版を見て内容を知っていたのでそんなに怖くなかった。
クルガン(2003/04/13)
この日はジャックのおじいさんが持っているガレージにお父さんとジャックと僕の三人で行った。ガレージの地下には貯蔵庫があって、ここにはたくさんのジャガイモが保存されている。僕も下に降りさせてもらって、ジャガイモを手に記念撮影をする。
クルガン(2003/04/12)
疲れが溜まっていたのと、モスクワより東へ移動して時差が2時間先に進んだのとで、11時まで寝てしまった。今日はジャックのお父さんの仕事場を訪問することになっている。起きると朝食を頂き、ジャックとお父さんと僕の三人でメルセデスのバンに乗り込み、お父さん仕事場へと向かう。
クルガン(2003/04/11)
クルガン駅への到着は早朝だった。眠いままクルガン駅に降り立つ。駅でジャックを探しに歩き回る。ぐるっと駅舎を回った後、ホームに戻ってみると、ジャックと彼のお父さん、それにお姉さんの三人が出迎えに来てくれていた。お父さんの運転するメルセデス製の大きなバンに乗り込み、途中買い物があるとかで、何件かのお店に寄って、ジャックの家に着く。
モスクワ⇒クルガン(2003/04/10)
取り立ててすることもなく、朝が来てもまだベッドに横になっている。たまに起きてそとの景色を見たり、ガイドブックを読んだりする。
昼過ぎに若者4人組みはペールムという駅で降りていった。降りるときに「ダスビダーニャ(さようなら)」と言って、握手をして別れる。また平凡な列車の旅路は続く。
モスクワ⇒クルガン(2003/04/09)
朝、起きるとオランダ人とイスラエル人のルームメイトは朝食を取りに行って、いなくなっている。このホステルは朝食が付くサービスになっていて、1階にあるカフェに行く。彼らのテーブルに座らせてもらって、朝食をともにする。僕は今日の19:00から列車に乗ることになっていて、イスラエル人のルームメイトは今日の夜中に列車に乗るということだった。それなので、三人で夕方まで一緒に行動しようということになった。
モスクワ(2003/04/08)
早朝、モスクワのパヴェレツキー駅に到着する。宿を確保するために先週滞在していたトラベラーズ・ゲスト・ハウスに行く。着いたのは7時でまだ受付が閉まっている。ノックをすると眠たげな係りの女の人が出てきて、今日は空きができるかわからないので、チェックアウトの時間まで待ってくれという。仕方なく、ロビーのソファーで休む。列車で寝足りなかったので、ソファーでしばらく眠る。
ミチュリンスク(2003/04/07)
朝、7時半には起きて、パンとコーヒーで朝食を取る。今日、ニックは学校に行く日で、自分も一緒に行くよう誘われていた。学校までニックのお父さんが送ってくれて、学校に入っていく。そこには先生がいて、自分が日本から来ている外国人で、授業を見学させたいのだとニックが説明している。しかし、先生はノーと答える。
ミチュリンスク(2003/04/06)
朝、ニックの家でペルメニという餃子みたいな料理を朝食としてご馳走になり、食べ終えると外出する。昨日と同じようにターニャを呼びに家まで行って、その後はバスに乗って、エフゲニーの家そばまで移動する。
サンクトペテルブルク⇒ミチュリンスク(2003/04/05)
朝、7時くらいには目を覚ます。二人のアレクセイはすでに起きていて、ウォッカとビールを交互に飲み始めている。僕も勧められたが、朝からお酒は飲めないので「ニェ・スパシーバ」といって断る。ほんとに二人のアレクセイは酒好きである。少なくとも自分が乗ってから、降りるまで、ずっとウォッカとビールを交互に飲んでいた。
サンクトペテルブルク(2003/04/04)
今日は20:50から列車に乗ることになっていた。午前中はチェックアウトぎりぎりの時間まで部屋で朝食を取ったり、日記をつける作業で時間を潰す。荷物をホステルのラゲッジ・ルームに預け、午後は市内を散策する。
サンクトペテルブルク(2003/04/03)
早朝、宿でチーズパンとフルーツドリンクとヨーグルトをもらい、これを食べる。今日はまず、次に行くミチュリンスクまでの切符を買いに行く。モスコフスキー駅のカウンターではどこも英語が通じない。それなので下手なロシア語を駆使しながら何とかチケット購入に成功する。出発は明日の夜である。モスコフスキー駅からネヴスキー通りと言うのが始まっていて、これがペテルブルクのメインストリートである。
サンクトペテルブルク(2003/04/02)
朝の5時50分に列車はサンクト・ペテルブルクに到着する。まずは宿を探そうと思い、モスクワで買っていたガイドブックを見て、ユースホステルに片っ端から電話する。しかし、英語で話し掛けるとどこの宿もガチャンといきなり電話を切る。英語が話せないからなのだろうが、客に対していきなり切ることはないだろうと思う。
モスクワ⇒サンクトペテルブルク(2003/04/01)
今日は出発の日である。先ず、朝にアメリカ人のおじいちゃんと一緒にレニングラードスカヤ駅に行く。僕はサンクト・ペテルブルクまでのチケットを購入するためで、おじいちゃんは数日後に同地に行くと言うことで下見のために一緒に来た。チケットは問題なく購入した。その後、一旦僕は宿に引き返す。おじいちゃんは町の中心部へ向かっていった。
モスクワ(2003/03/31)
ウクライナのビザを4月の15日からで申請していたが、物価の高さからもっと早く移動しようと思って、早朝からウクライナ大使館に申請書の修正をしに行く。
モスクワ(2003/03/30)
今日は日曜日だ。時間が今日からサマータイムに入って、時計の針を一時間先に進ませた。部屋のみんなは外出していって、僕だけは部屋に残って日記を書く作業と、後はベッドに横になって休息する。
モスクワ(2003/03/29)
今日からこのホテルをチェックアウトして、安宿に移ることにした。荷物をまとめ、地下鉄に乗って、先ずは自分が知っている中で最も安い宿に行ってみる。しかし、満員で断られる。昨日買ったガイドブックで別の宿を探し、行ってみる。こちらも定員一杯になっていたが、エクストラベッドを使うことはできると言うので、チェックインする。
モスクワ(2003/03/28)
朝、起きると部屋で列車で食べるように買って残っていたビスケットを食べて、簡単に済ませ、先ずは地下鉄に乗ってチューホフスカヤと言う駅で降り、大使館にウクライナビザを取得しに行く。
モスクワ(2003/03/27)
夜中の三時にティムールは降りていった。行くときに寝ている僕に声を掛けてくれて、握手をしてさよならを言って別れた。
朝の7時にはリャーザヌでおばあちゃんが降りるので、荷物を運ぶのを手伝ってあげた。