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モスクワ⇒クルガン(2003/04/10)
取り立ててすることもなく、朝が来てもまだベッドに横になっている。たまに起きてそとの景色を見たり、ガイドブックを読んだりする。
昼過ぎに若者4人組みはペールムという駅で降りていった。降りるときに「ダスビダーニャ(さようなら)」と言って、握手をして別れる。また平凡な列車の旅路は続く。
モスクワ⇒クルガン(2003/04/09)
朝、起きるとオランダ人とイスラエル人のルームメイトは朝食を取りに行って、いなくなっている。このホステルは朝食が付くサービスになっていて、1階にあるカフェに行く。彼らのテーブルに座らせてもらって、朝食をともにする。僕は今日の19:00から列車に乗ることになっていて、イスラエル人のルームメイトは今日の夜中に列車に乗るということだった。それなので、三人で夕方まで一緒に行動しようということになった。
モスクワ(2003/04/08)
早朝、モスクワのパヴェレツキー駅に到着する。宿を確保するために先週滞在していたトラベラーズ・ゲスト・ハウスに行く。着いたのは7時でまだ受付が閉まっている。ノックをすると眠たげな係りの女の人が出てきて、今日は空きができるかわからないので、チェックアウトの時間まで待ってくれという。仕方なく、ロビーのソファーで休む。列車で寝足りなかったので、ソファーでしばらく眠る。
モスクワ⇒サンクトペテルブルク(2003/04/01)
今日は出発の日である。先ず、朝にアメリカ人のおじいちゃんと一緒にレニングラードスカヤ駅に行く。僕はサンクト・ペテルブルクまでのチケットを購入するためで、おじいちゃんは数日後に同地に行くと言うことで下見のために一緒に来た。チケットは問題なく購入した。その後、一旦僕は宿に引き返す。おじいちゃんは町の中心部へ向かっていった。
モスクワ(2003/03/31)
ウクライナのビザを4月の15日からで申請していたが、物価の高さからもっと早く移動しようと思って、早朝からウクライナ大使館に申請書の修正をしに行く。
モスクワ(2003/03/30)
今日は日曜日だ。時間が今日からサマータイムに入って、時計の針を一時間先に進ませた。部屋のみんなは外出していって、僕だけは部屋に残って日記を書く作業と、後はベッドに横になって休息する。
モスクワ(2003/03/29)
今日からこのホテルをチェックアウトして、安宿に移ることにした。荷物をまとめ、地下鉄に乗って、先ずは自分が知っている中で最も安い宿に行ってみる。しかし、満員で断られる。昨日買ったガイドブックで別の宿を探し、行ってみる。こちらも定員一杯になっていたが、エクストラベッドを使うことはできると言うので、チェックインする。
モスクワ(2003/03/28)
朝、起きると部屋で列車で食べるように買って残っていたビスケットを食べて、簡単に済ませ、先ずは地下鉄に乗ってチューホフスカヤと言う駅で降り、大使館にウクライナビザを取得しに行く。
モスクワ(2003/03/27)
夜中の三時にティムールは降りていった。行くときに寝ている僕に声を掛けてくれて、握手をしてさよならを言って別れた。
朝の7時にはリャーザヌでおばあちゃんが降りるので、荷物を運ぶのを手伝ってあげた。
アルマティ⇒モスクワ(2003/03/26)
アロビナは早朝の4時に列車を降りた。今日もみんなから卵やパンなどをもらいながら、食事をする。昼前にウラリスクにつくと、おじさんが僕らのコンパートメントに乗ってくる。彼は年が37歳でちょうど自分より10歳上である。名前をアレクセイといって、ナバロフ近くに用事があっていくそうである。マガジン(ロシア語で売店のこと。小さなコンビニエンスストアみたい。)で働いているそうで、一人のお子さんがいるそうだ。彼がとても陽気なひとで、且つとても親切である。昼食の時間になると、肉やパン、お菓子、お茶をくれて、途中の駅でビールをおごってくれた。
アルマティ⇒モスクワ(2003/03/25)
朝、目を覚ますと相変わらず、通路は大勢の人間でいっぱいになっており、トイレに行くのもやっとである。途中、インド人のおばさんたちが話し掛けてきて、頭が痛いからアスピリンをくれとか、ベッドで寝かしてくれないかとか、あつかましくねだってくる。日本から持ってきた薬と、香港の友達にもらった薬は、すべてアルマティのタクシー事件でなくなっていたし、部屋に入れるのも、同室の三人に迷惑だろうと思ってこれを断る。