以下に、次の分類用語を使用するページがあります “北京”
北京(2003/02/11)
この日は上海までの列車が15:30に出発するので、時間が余っており、早めに宿を出て、日本大使館となりの昨日行けなかった日本文化交流センターに行って、無料でネットをさせてもらう。だが、ここでも、フロッピーが使えず、サイトの更新ができなかった。それなので、ローミングサービスに申し込むことにした。
北京(2003/02/10)
今日は朝から忙しい一日となった。まず、早朝6時過ぎに北京に着くと、地下鉄に乗って北京駅の隣にある建国門というところまで行き、日本大使館の場所を探る。日本大使館自体には用件がなかったが、その隣にある日本文化交流センターというところに行きたかった。ここは、中国語の先生の彼女から無料でインターネットができると紹介されていたからだ。ただ、時間が10時からということで、諦めて次はカザフスタン大使館に向かうことにする。
北京(2003/02/05)
今日も朝の7時に起きて、タクシーに乗って、アリスさんたちのホテルに朝食をご馳走になりに行った。途中タクシーの運転手と、「今日も寒いですねぇ」とか世間話を試みてみたら、韓国人かと聞かれた。日本人だというと、運転手曰く韓国人も日本人も中国語の訛り方は結構似ているという。
北京(2003/02/04)
今日は朝の8時に香港女性三人組と彼女らのホテルで待ち合わせをしていたので、7時にモーニングコールで起こしてもらい、タクシーに乗ってそのホテルに向かった。タクシーでは自分が話す中国語の発音がいいねと運転手のおじさんに褒められたのでちょっと嬉しかった。彼女らのホテルに朝方向かったのは、朝食をご馳走になるためだ。なんでも、ここのホテルの朝食はバイキング形式で、部外者でもこっそり入って食べられるとのことだった。でも、お腹の調子は未だに悪く、お粥くらいしか食べられそうなものはなかった。
北京(2003/02/03)
今日はニッキー達がハルピンに向け出発する日なので、一人で泊まる宿を見つけなければいけない日になった。親切にもニッキーが部屋を探してくれて、天安門広場の南側にある前門の一泊120元の宿を見つけることができた。
北京(2003/02/02)
この日は朝10:00くらいにゆっくり起床して、朝食にパイコー麺を食べた後(またまた健君のお父さんに付き合って50℃の白酒も)、ニッキー達と万里の長城までバス観光に出かけた。
北京(2003/02/01)
中国の正月のこの日、寝たのが明け方の4:00くらいだったのだけれど、今朝は天安門広場に国旗の掲揚式を見に行くために、5:30には起床してタクシーに乗った。もちろん昨日知り合った仲間を含めて6人である。だけれど、早く出すぎてしまっていたために、寒い中(おそらく-5〜-10℃)一時間ほど待たなければならなかった。式は日の出と同じくらいの時間に始まった。式は天安門から前面の通りを挟んで反対側にある、国旗掲揚台までのパレードである。
北京(2003/01/31)
この旅を理由に仕事を退職したのは先月のこと。それまで、実家を離れ高円寺での一人暮らしの生活の中、無駄遣いはせず貯めてきた資金は最後のボーナスで目標額の100万円に達していた。まったくの未経験から始めたプログラマの仕事が「石の上にも」というように、3年を過ぎたばかり。これであれば再就職も大丈夫だろうという風に打算的になっていたので、仕事を辞めることにまったくの未練はなかった。